文化庁が行った令和4年度『国語に関する世論調査』の中で、「情けは人のためならず」ということわざについて、「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」という本来の意味に考えている人と、「人に情けを掛けて助けることは、結局はその人のためにならない」という誤った意味に考えている人の割合が、ほぼ半々だったという結果が示されている。この調査は、平成12年度と同22年度にも行われているが、割合はともにおよそ半々とほぼ同様の結果であった。
以前、この調査結果を新聞の記事で知った時に、何と冷たい世の中になってきたものかと嘆かわしく思った記憶がある。その後しばらくして、歌人の俵万智さんの本を読んでいたら、まさにこのことについて触れられている文章に出くわした。その中で、この誤用について彼女は、「誤用は誤用だが、私はなかなかいい解釈だな、と思う。その場限りのヒューマニズムや、安易な同情で親切にしても、かえって本人のためにならないことは、確かに多い。甘えた根性を、びしっと断ち切ってやることだって必要だ。そういう共感を呼ぶ内容だからこそ、これほどまでに誤用が広がったのだろう」と書いていた。誤用の点はともかく、あまりに甘くなり過ぎている今の世の中に対する態度として、大いに共感を覚えるところはある。
一方、本来の意味に関しては、「私などには、えらいエゴイズムのように感じられる。人に親切するときぐらい見返りなんか忘れたい、と思う。いつかは自分のためになるんだと思って親切にするなんて、ずいぶんセコイ発想ではないだろうか」と述べている。これを読んだ時、日本語の達人と言っても過言でない歌人の俵万智さんまでもが、「情けは人のためならず」ということわざをそのように捉えているのかと愕然とした覚えがある。
冷静に考えてみると、もし、このことわざがそのような意味ならば、俵さんの見解にボクも大いに賛成したい。つまり、それが、何かを手にするためにはそれに見合うものを先に差し出さなければならないという、英語のギブ・アンド・テイクのニュアンスならばである。しかし、それは全くの誤解である。これを前々回のコラムに即して言えば、ギブ・アンド・テイクは信用の話であるのに対して、「情けは人のためならず」はまさに信頼の話だからである。
そう考えると、ボクにはそもそも「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」という文化庁が示している浅薄な定義自体が誤っており、それが大いに誤解を生んでいるようにも思われる。本来「情け」とは、もっと純粋で打算を超えたところにある日本文化の持つ美しい人の心根を表すコトバである。今や、そうした情けが忘れられつつある、「情け」ない世の中になっているのかもしれない。