福山平成大学 小川教授の「経営の福袋」第59回 仕事について

日経新聞の最終面に「私の履歴書」と題する、各界で大きな業績を残した方々が自らの半生を綴るコラム欄があるのを、ご存じの方も多いのではないでしょうか。今回、この欄が1956年から続いていることを知り、ボクの生まれる前から各界の名士によって毎月、綿々と書き繋がれてきたことに驚いています。以前、証券会社に勤めていた頃は日経新聞を読むのが日課でしたが、この欄の存在を知りながらもほとんど読むことはなく、今、振り返ると勿体無いことをしたと大いに悔やまれます。当時、若かったこともありますが、証券欄を中心に経済欄や企業欄などの記事に目を通すのが精一杯で、時間的にも精神的にも余裕がなかったように思います。

 先月の「私の履歴書」の執筆者は、元厚生労働事務次官の村木厚子さんでした。村木さんは、社会・援護局障害保健福祉部の企画課長を務めていた2009年に「障害者郵便制度悪用事件」で逮捕され、その後も無実を主張し続けて、最終的に裁判で無罪となった方だということは皆さんご存じかと思います。「私の履歴書」でも、まずこの冤罪事件について逮捕から獄中生活、そして無罪となるまでの様子が詳しく綴られています。特に、164日間の拘置期間における、ともすれば崩れそうになる自分と闘いながらの葛藤の描写には鬼気迫るものがあります。

 しかし、その一方で村木さんは獄中で逮捕に関わる膨大な捜査資料を自ら調べて、担当検事の証拠改竄の矛盾を捜し出し、最終的にそれが決め手となって無罪判決に繋がります。この結果は、彼女の揺るがぬ信念と諦めない心、そして緻密な情報処理能力の賜物だと思います。それに加えて、ご夫君を始め村木さんを信じ、支援し続けてきた方々の声も力になったとされていますが、その背景には日頃からの村木さんの誠実な心配りや立ち居振る舞い、真摯な仕事振りから生まれる彼女への大きな信頼があったことは否めません。

 このように、村木さんの履歴書の中には勉強になることが多いのですが、今回ボクの心に最も残ったエピソードを書き留めておきましょう。彼女が中学2年生の時、お父上が失業されたことを切っ掛けにアルバイトを始め、学校に通いながら高校2年生まで続けます。その中で「どの仕事にも、その道のプロがいる。こつや、工夫の余地があり、やればやるほど上達する」という仕事の面白さを始め、多くのことを学んだと書かれています。

 そして、「仕事だから、必要だからという状況が、少しずつ自分を変えた」と、人と話すのが苦手だった自分がアルバイトによって話せるようになったことから、「やらざるを得ない環境に自分を置いてみる」ことは、苦手なことを乗り越える一手かもしれないと記されています。さらに、大学に入ってから再開した数々のアルバイトを含め、それまでのアルバイトで得た経験から、国家公務員になった時にも「どの仕事も「やれば面白い」と知っていた」ので、「向いているか向いていないかで迷うより、まずやってみる」という気構えで仕事に取り組んだと言います。

 昨今、ジョブ型という言葉が持て囃され、仕事の専門性ばかりが謳われているようですが、一方で、村木さんのような考え方のほうが自らの可能性の幅が拡がり、面白い仕事ができるのではないかとボクは思っています。