前回、日経新聞の「リーダーの本棚」についてお話ししましたが、執筆者によって紹介されている本を、是非ボクも読んでみたいと思うことが時折あります。その欄で紹介されているのは、各々の執筆者の座右の書や愛読書ですので、彼らが若い頃から何度も読み返してきたというものも多く、現在、新刊で販売されていない本や、既に絶版となっている本なども間々あります。以前、ボクがまだ学生や勤め人だった頃、どうしても読みたい本が新刊で手に入らない時には何軒も古書店をハシゴして、その本を探し歩いたものです。
しかし、今ではそうした手間や時間を掛けることなく、ウェブ上で簡単に欲しい本が入手できるようになり重宝しています。情報通信技術の進展のお陰で、希少な本でさえ容易に見つけ出せることが多く、読みたい外国の書籍なども簡単に探し出すことができるようになりました。ただ、こうしてピンポイントで欲しい本を手に入れることができるようになった便利さの反面、以前のように足を棒にして古書店を何件も巡り、遂に欲しい本を書棚で見つけた時の感激や、それを抱きかかえるようにして家に持ち帰り、早速その本を机上で開く時の愉しみが、今では薄らいでしまったように思います。
英語には、思い掛けないものを発見することや、求めずして思わぬ発見をする能力を意味する、「セレンディピティ(Serendipity)」という言葉があります。例えば以前、目的の本を探して、薄暗い古書店の書架を端から端まで順番に用心深く目を走らせていた時、その本とは別の、前から気に掛かっていた本や、それまで存在さえ知らなかった興味深い本に遭遇し、心が浮き立つようなことを何度も経験しました。セレンディピティとは、まさにそうした実感のことなのですが、最近は便利さの反面、こうした場面も少なくなってしまい残念に思います。
セレンディピティという言葉は、『セレンディップの3人の王子』というペルシャの童話に因んで生まれた造語だとされています。この語の語幹の「Serendip(セレンディップ)」とは、スリランカのアラビア語名です。この童話は、スリランカの3人の王子たちが旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇するのですが、彼らは聡明さによって、もともと探していなかった何かを発見するという物語です。
ボクがこの言葉を知ったのは、1983年の刊行以来、今でも東大生や京大生に最も読まれていると謳われているロングセラーの『思考の整理学』を始め、多くのエッセイを残された英文学者で、お茶の水女子大学名誉教授の、故、外山滋比古先生の書かれた『乱読のセレンディピティ』という本を読んだ時でした。そこには、外山先生ご自身のご経験から、様々な分野の本を乱読していると、そもそも関係があるとは思っていなかった複数の分野の間に意外な共通性が見つかったり、乱読によって得た異なる分野の知見を考え合わせることによって、新しい知見が生まれたりすることがあるというようなことが書かれてあったと思います。
それ以来、ボクは研究でも教育でも、学部の運営においても地域活動においても、仕事でも遊びでも、あらゆるボクの経験においてセレンディピティは必ず起きると信じて、毎日ワクワクしながら生きている訳です。