福山平成大学 小川教授の「経営の福袋」第60不易流行

 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」という有名な書き出しで始まる『おくのほそ道』が、松尾芭蕉の旅行記であることは皆さまよくご存じかと思います。『おくのほそ道』は、芭蕉が敬愛する平安後期の歌聖、西行が歌枕を訪ねた旅の足跡を自らも辿りたいという大願を果たすため、西行の500年忌にあたる1689年、46歳の芭蕉が5歳下の弟子、河合曾良を伴って江戸を発ち、日光から北上し仙台、松島、平泉、出羽三山と奥州の地を巡った後、日本海側の象潟まで上り、酒田、出雲崎、金沢、福井と北陸を南下し、敦賀を経て「むすびの地」美濃大垣までを踏破した、2年7か月間の旅と俳句の記録です。

 現在の46歳は、まさに働き盛りの年代ですが、当時の平均寿命は50歳ほどでしたので、現在の平均寿命を85歳とすると、芭蕉の歳は今の78歳に当たる計算になります。『おくのほそ道』に最初に記されている句は「行く春や鳥啼き魚の目は泪」というものですが、これは「矢立始めの句」と呼ばれているように旅立ちの朝、見送りをする多くの門弟や知人との別れを惜しんで詠まれたものです。「過ぎ行く春を惜しむように、この別れを惜しんで鳥さえも悲しげに鳴き、魚の目も涙に濡れている」と詠まれたこの句には、これが今生の別れになるかもしれないという芭蕉の心境が感じられます。

 その後、無事に長旅を終えた芭蕉ですが、彼の思いの強さや好奇心、感性や行動力には心服すると同時に、高齢化社会に生きるボクたちも大いにその気概を見習いたいものだと思います。

 さて、蕉門十哲の一人、向井去来の著した『去来抄』に「蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云有。是を二ツに分つて教え給へども、其基は一ツ也。不易を知らざれば基立がたく、流行を辨へざれば風あらたならず」という件があります。その意味は「芭蕉門下の俳諧には、いつの世も変わることのない千載不易の句と、その時々で変化する一時流行の句がある。先生はこれらを二つに分けて教えて下さったが、その根本は一つである。不易を知らなければ基本は確立できず、流行を弁えなければ新風を取り入れることはできない」ということになります。

 また、別の十哲の一人、服部土芳も自著『三冊子』に去来と同様の教えを記し、不易と流行が一つとなる根本のことを「風雅の誠」と名付けています。まさに、両者のバランス、両者の融合こそが風雅の本質であるという訳です。

 この「不易流行」という言葉を耳にするといつも、ドラッカーが説いた、経営には「変えてはならないもの」と「変えなくてはならないもの」があるというフレーズが脳裏に思い浮かび、それは真理であると再認識します。現在、例えばDXや生成AIなどといった新しい技術の「流行」ばかりが喧伝されている印象で、「不易」という本来変えてはならない人間や社会の大切なものが蔑ろにされているように思えてなりません。経営者の方々には浮足立たず、自社にとって変えてはならないものは何か、変えなくてはならないものは何かということを真摯に峻別した上で、不易と流行のバランスと融合を図り、「風雅の誠」ならぬ「経営の誠」を実現していただきたいと思います。

 互いに精進して、呉々も「夏草や兵どもが夢の跡」などとならないようにしたいものです。