福山平成大学 小川教授の 「経営の福袋」第75回 実行あるのみ(下)

 ここで、奥田氏がトヨタ自動車の社長を務めた4年弱の間に実現した業績を振り返っておきましょう。社長就任から5か月目の1996年1月、「調和ある成長」をテーマに掲げた「2005年ビジョン」を発表し、全社に指針を示します。このトヨタ初となるビジョンの巻頭で、「トヨタ第2の創業期が始まります」と高らかに宣言し、創業の原点に立ち返って挑戦しようと全社員に呼び掛けています。
 その指針の一つであるグローバル化への対応として、奥田氏は米インディアナ工場、およびウエストバージニア工場の建設・稼働、フランスでの小型車生産の発表など、海外展開を着実に実現していきます。実は、こうした方針は奥田氏自身によって、既に布石が敷かれていました。1980年代、日米貿易摩擦が大きな問題となっていた頃、一番のやり玉に上がったのが日本車でした。これを受けて、国内メーカーが自主規制や米国での現地生産を模索し始めていた当時、トヨタの北米事業準備室の副室長を務めていた氏は、「トヨタの歴史で最も困難な事案」とされたアメリカでの工場用地の選定に挑みます。そして、ケンタッキー州で土地を確保して工場建設に漕ぎ付ける訳ですが、その後工場は、米国でのトヨタの主力拠点に育っていきます。
 実は、これに対して採算性を疑問視する声もあったようですが、「新しいことをやろうとすれば、いつでも反対はある。そこで立ち止まっていては、企業は発展しない」と、奥田氏は当時を振り返っています。氏のこの気概は、ボクの座右の銘である17世紀イギリスの哲学者ジョン・ロックの箴言、「新しい考えは、それが常識でないということだけで、いつも疑われ、通常は反対される」という言葉に通底するものがあります。まさに、大きなイノベーションは、ここをブレークスルーすることによって生まれるのだと思います。
 一方、国内においても。ダイハツの子会社化や日野自動車への出資比率の引き上げなど、自社の体力増強やグローバルな自動車メーカーの再編を踏まえた戦略を積極的に展開していきます。それと同時に、航空測量会社の朝日航洋の買収、地図会社のゼンリンへの出資、千代田火災を傘下に収めるなど、周辺事業への拡大を図ります。これらは今から振り返ってみると、当時から自動車メーカーの将来を見据えた先手を、確実に打っていたのだということが分かります。その最も象徴的な結実が、「エコプロジェクト」から生まれた金字塔、ハイブリッド車の「プリウス」であることは誰もが認めるところでしょう。このプリウスの誕生が、日本国内に環境志向の大きなトレンドを生み出したと言っても過言ではないと思います。さらに、1999年1月に発表された「ヴィッツ」は、国内に小型乗用車のブームを巻き起こしました。
 こうした大きな足跡を残した奥田氏は、「最大の敵は内なる慢心である」、「トヨタの敵はトヨタ」など多くの名言も残しているのですが、その中でボクが最も好きな言葉は、「答えは本屋に行けばいくらでもある。あとは実行あるのみだ」というものです。どんな立派な理論や意見だろうと、それを実行しなければ画餅に帰してしまうものであるということを改めて胆に銘じつつ、奥田氏に心から追悼の意を捧げて筆を置きたいと思います。