このところ、報道で伝えられる有名人の訃報がとても多いように感じています。今夏は、特に猛暑が続いているので、そうした厳しい気候が関係しているのではないかとも考えられるのですが、本当のところは、どうもボク自身が年を取ってきたことが、その大きな原因なのではないかと思っています。と言うのは、以前は亡くなった方のニュースを聞いても、その方々は大方、ボクが子供の頃以前に活躍されていたので、取り立てて感じるところがなかったからだろうと思います。
しかし、最近は文化人であれ芸能人であれ、また政治家であれ財界人であれ、既にボクが世の中のことに興味を持ち始めた年頃以降に活躍されていた方の訃報が増えてくると、そうした方々の名前や姿が時代のシーンと共に思い出され、感慨を催すところが多くなったからなのだろうと思います。例えば、ここふた月ほどの間にもガッツ石松さん、中村玉緒さん、美輪明宏さん、利根川進さん、板東英二さん、東野圭吾さん、寿美花代さん、岸惠子さん、奥田碩さんなど、名前を知っている方々の訃報に接すると、それぞれご活躍になっておられた姿がボクの人生の一場面と重なって思い浮かび、しみじみと感じるところがある訳です。
中でも、人気作家の東野圭吾さんはあれほど大活躍されていた最中(さなか)でしたので、その訃報には驚きも一入でした。特に、東野さんはボクと同じ1958年生まれの方だったので、ボク自身そういう年に差し掛かってきたのかという深い感慨があります。一方、経済界においてはトヨタ自動車の元会長で、経団連会長も務められた奥田碩氏が鬼籍に入られたことを、つい先日の日経新聞で知りました。以前、このコラムでも取り上げたセブン&アイ・ホールディングス元会長の、故、鈴木敏文氏の訃報の時同様、また一つ経済界の巨星墜つという感を禁じ得ません。
1955年、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)に入社した奥田氏は、経理畑を歩むのですが、その歯に衣着せぬ言動がもとで上司と対立し、1972年から6年半の間、フィリピンに事実上左遷されるという不遇な目に遭います。しかし、そうした苦境の中での奥田氏の仕事振りを見出してそれを高く評価し、のちに経営の中枢に引き上げたのは、当時社長を務めていた創業家の豊田章一郎氏でした。以降、奥田氏は様々な社内改革に乗り出す訳ですが、それも章一郎氏の後ろ盾があってこそだと言われています。もちろん、そうした要因もあったのでしょうが、それと共に奥田氏の心奥には、苦境から救い上げてもらった章一郎氏への恩義と、その信頼に応えようとする気概とがあったに違いないとボクは思っています。
その後、奥田氏は1995年、創業家以外からの28年振りの社長となる訳ですが、その就任時に「トヨタが変われば日本が変わるという自負がある」と述べ、その言葉通り「三河モンロー主義」と揶揄されていたトヨタの内向きの企業風土の改革に取り組んでいきます。社長就任の直後こそ利益低迷に苦戦するのですが、フィリピンでの苦境の中で培った経験をもとに、奥田氏は積極的に海外展開を繰り広げ、トヨタは「三河モンロー主義」からグローバル企業へと大きく舵を切ったのです。 (つづく)
しかし、最近は文化人であれ芸能人であれ、また政治家であれ財界人であれ、既にボクが世の中のことに興味を持ち始めた年頃以降に活躍されていた方の訃報が増えてくると、そうした方々の名前や姿が時代のシーンと共に思い出され、感慨を催すところが多くなったからなのだろうと思います。例えば、ここふた月ほどの間にもガッツ石松さん、中村玉緒さん、美輪明宏さん、利根川進さん、板東英二さん、東野圭吾さん、寿美花代さん、岸惠子さん、奥田碩さんなど、名前を知っている方々の訃報に接すると、それぞれご活躍になっておられた姿がボクの人生の一場面と重なって思い浮かび、しみじみと感じるところがある訳です。
中でも、人気作家の東野圭吾さんはあれほど大活躍されていた最中(さなか)でしたので、その訃報には驚きも一入でした。特に、東野さんはボクと同じ1958年生まれの方だったので、ボク自身そういう年に差し掛かってきたのかという深い感慨があります。一方、経済界においてはトヨタ自動車の元会長で、経団連会長も務められた奥田碩氏が鬼籍に入られたことを、つい先日の日経新聞で知りました。以前、このコラムでも取り上げたセブン&アイ・ホールディングス元会長の、故、鈴木敏文氏の訃報の時同様、また一つ経済界の巨星墜つという感を禁じ得ません。
1955年、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)に入社した奥田氏は、経理畑を歩むのですが、その歯に衣着せぬ言動がもとで上司と対立し、1972年から6年半の間、フィリピンに事実上左遷されるという不遇な目に遭います。しかし、そうした苦境の中での奥田氏の仕事振りを見出してそれを高く評価し、のちに経営の中枢に引き上げたのは、当時社長を務めていた創業家の豊田章一郎氏でした。以降、奥田氏は様々な社内改革に乗り出す訳ですが、それも章一郎氏の後ろ盾があってこそだと言われています。もちろん、そうした要因もあったのでしょうが、それと共に奥田氏の心奥には、苦境から救い上げてもらった章一郎氏への恩義と、その信頼に応えようとする気概とがあったに違いないとボクは思っています。
その後、奥田氏は1995年、創業家以外からの28年振りの社長となる訳ですが、その就任時に「トヨタが変われば日本が変わるという自負がある」と述べ、その言葉通り「三河モンロー主義」と揶揄されていたトヨタの内向きの企業風土の改革に取り組んでいきます。社長就任の直後こそ利益低迷に苦戦するのですが、フィリピンでの苦境の中で培った経験をもとに、奥田氏は積極的に海外展開を繰り広げ、トヨタは「三河モンロー主義」からグローバル企業へと大きく舵を切ったのです。 (つづく)