福山平成大学 小川教授の 「経営の福袋」第69回 「有難い」ということ

 何事もそうなのですが、われわれは既に身近にあるものに対して、それが当たり前にあるように考えてしまいがちです。そして、それらがわれわれにもたらしてくれている恩恵を、享受するのも当たり前のように思い込んでしまいます。特に、物質的に豊かになった現在において、われわれがそれらから受けている恩恵は非常に大きなものであるにもかかわらず、それさえ、当たり前のように思っている人が多いのは実に勿体無いことだと思います。
 それらから与えられている恩恵は、とても有難いことではないかとボクは考えているのです。今、ボクはコーヒーを飲みながらこの原稿を書いているのですが、考えてみれば、このコーヒーをこうして飲めるのも、遠くの国で暮らす見知らぬ誰かがコーヒーの木を育て、実ったコーヒー豆を誰かが穫り入れ、それを誰かが日本まで運び、さらに誰かが焙煎したものを、誰かが営むお店で販売してくれているので、こうしてボクが美味しいコーヒーを口にできているのだと思うと、実に有難いことだと考える訳です。
 「ある」という言葉は、漢字で「在る」とも「有る」とも書きます。そこで改めて『字通』に当たってみますと、「在」という文字の訓義は「ある、特定の時、また所にある、位置を占める」こと、「います、聖的な存在であること、清められたものをいう」と記されています。それに対して、「有」という文字の訓義は「ある、存在する」の他に「すすめる」、「もつ、たもつ、おおい」、「したしむ」とされています。すなわち、この二つの漢字はどちらも「存在する」という意味を持つものの、後者の「有」には「所有」という言葉に象徴されるように、自分の手元に有ること、自分が持っていることといった意味があります。
 つまり、「有難い」という言葉の根底には、それを自分が所有すること、また、それにより恩恵が他ならぬこの自分にもたらされることが、そもそも難しい(困難な)ことであるという認識があると考えられます。それ故に、そもそも自分の手元に有ることは本来、難しいことであるにもかかわらず、それが実現している状態が「有難い」と表現されているのであり、それに対する「有難いことだ」という感慨から、感謝の意を表す「有難うございます」という表現が生まれたのではないかと思います。
 ボクたちの祖先は、言葉には魂(霊力)が宿っていると考え、それを「言霊(ことだま)」と名付けました。「有難い」という言葉は、まさにこの言霊が宿る言葉に違いないとボクは考えています。なぜなら、人が「有難う」と心から感謝をするのは、今ここに有難いことが実現していることの喜びに満たされている時であるからに他ならず、その感謝の気持ちが籠った言霊は、それを受け取る方にも「良いことをした」という幸福感をもたらすからです。
 では最後に、あの偉大な物理学者A.アインシュタインの、次のような取って置きの箴言をご紹介しておきたいと思います。「人生にはたった二つの生き方しかない。奇跡などないかのように生きるか、何もかもが奇跡であるかのように生きるかだ」。この言葉を胸に、ボクは断然、何もかもが奇跡のような有難いことが起きていると、日々感謝しながら生きていきたいと思っています。