福山平成大学 小川教授の「経営の福袋」第6回 信頼について(上)

ボクの重要な研究テーマの一つに、「信頼」があります。そこで今回と次回の2回にわたって、これまでボクが信頼について考えてきたことを簡潔にお話ししてみたいと思います。

 信頼と似た言葉に、「信用」という言葉がありますが、通常、両者の違いは、ほとんど意識されることなく混用されているように思います。例えば、多くの人にとって「あの人は信頼できる人だ」という言い方と、「あの人は信用できる人だ」という言い方が表しているニュアンスには、ほとんど違いがないのではないでしょうか。

 しかし、よく考えてみると、「信頼感」という言葉はあっても「信用感」という言葉は耳にしませんし、「信頼関係」という言い方をしても、「信用関係」という言い方はしません。また逆に、「信用経済」や「信用取引」という言葉はあっても、「信頼経済」や「信頼取引」という言葉はありませんし、「信用金庫」や「信用組合」はあっても、「信頼金庫」や「信頼組合」はありません。なぜなのでしょう。

 信頼とは、文字通り「信じ」て「頼る」ことであると考えると、信用は「信じ」て「用いる」ことということになります。そこで、まず、両者に共通する「信じる」という言葉についてですが、それは信じる者(X)が主体的に、自らの意思によって行う行為であるにもかかわらず、そこには何か危うさが伴います。なぜなら、信じたことの結果が信じた他者(Y)に委ねられることになり、信じた者(X)が望むような結果にならないことがあるからです。つまり、そこには「不確実さ」があるのです(学問的には、こうした将来の不確実性のことを「リスク」と呼びますが、リスクについては後日改めてお話しすることにしましょう)。

 すなわち、信じるという行為の根底には、われわれ人間が本来的に持っている弱さや脆さがあるということです。その証拠に、人類の歴史を振り返ってみると地域や民族を問わず、われわれの祖先が人間の持つそうした弱さや脆さ故に、自らの力の及ばぬこと、自分ではどうしようもないことを願い、救いを求めたため、人間がいるところには必ず信仰が生まれたのだと思います。

 次に、両者の違いである「頼る」と「用いる」という点なのですが、後者の「用いる」という言葉には能動的なニュアンスを感じる反面、前者の「頼る」という言葉にはどこか弱さや儚さのようなものを感じます。つまり、頼るという言葉には、自分にはできないことや、自分が困っていることを誰かを頼みにして、その誰かに託すというニュアンスがあります。そして、その結果が頼られた他者によって左右されるため、ここにも「不確実さ」が生まれます。

 こうしてみると、「信頼」は必ず不確実さを内含しており、それはわれわれ人間の持つ弱さ、脆さに起因しているということがわかります。