福山平成大学 小川教授の「経営の福袋」第55どうしても親切が第一

 しばらく前、日経新聞広告欄の「どうしても親切が第一」という文言が目に留まったのですが、それは株式会社TOTOの会社広告でした。この文言は、初代社長の大倉和親から二代目の百木三郎に送られた書簡「先人の言葉」にある一節だとして、「どうしても親切が第一、良品の供給、需要家の満足が掴むべき実体で、この実体を握り得れば、結果として報酬という影が映る」という文章が紹介され、この「どうしても親切が第一」という文言が、今もTOTOに根付く普遍的な価値観になっていると謳われていました。

 そこで、親切という言葉を『広辞苑』で引くと「人情のあついこと。親しくねんごろなこと。思いやりがあり、配慮のゆきとどいていること」とされており、この身近な言葉が持つ深い意味を改めて味わうとともに、最近、親切というこの美しい言葉を、あまり耳にしなくなったことを残念に思います。この言葉を聞くと「小さな親切運動」が頭に浮かぶのは、ボクが昭和人間だからかもしれませんが、この社会運動が現在も綿々と引き継がれていることを知り、心強く感じている次第です。

 「小さな親切運動」は、1963年の東京大学卒業式での茅誠司総長の告辞から生まれたようです。総長は、大学教育の目標は優れた専門的能力と豊かな社会的教養を兼ね備えた人間を作るというより、そうした人間になるための潜在力を育成することにある。故に、こうした人間像は大学教育によって培われた潜在力の基盤の上に、各人の一生涯を通じた努力と刻苦により初めて達成されると話した後、次のような新聞記事のエピソードを紹介しています。

 ある夕刻、バス停で人々がバスを待っていると、通り掛かった夕刊配達の少年の自転車のチェーンが何かのはずみに外れてしまった。すると、一人の男性が歩み出て「自分は自転車屋だから」と言って修理すると、その様子を店から見ていた八百屋の女主人が、「汚れた手をお洗いなさい」と水を入れたバケツと石鹸と手ぬぐいを持って来た。すると、男性は「急ぐだろうから」と言って先に少年に手を洗わせた後、自らの手を洗い、女主人に有難うと感謝を伝えると、ちょうど到着したバスに乗り込んだ。この一部始終を見ていた人々の心は、何か知れぬ暖かいもので一杯になった。

 その後、総長は卒業生たちに対し、諸君も勇気をもってこうした小さな親切を行い、それを、やがては日本の社会の隅々まで埋め尽くすであろう親切という雪崩の芽としてもらいたい。そして、この小さな親切を絶えず行っていくことが、諸君の百科事典的な知識を融合させ、それが立派な社会人としての人間形成の基盤となるはずだ。一生の努力目標たる教養高き社会人の道は、このように、やろうとすれば誰でもできることから始められるのであると、告辞を結んだということです。

 さて、冒頭のTOTOの「先人の言葉」を調べてみると、詳しくは「どうしても親切が第一。奉仕観念をもって、仕事をお進め下されたい。良品の供給、需要家の満足が掴むべき実体です。この実態を握り得れば、利益・報酬として影が映ります。利益という影を追う人が世の中には多いもので、一生実体を捉えずして終わります」のようです。

 われわれも是非、親切を第一に心掛け、惑わず世の実体を捉えていきたいものです。