福山平成大学 小川教授の「経営の福袋」第44回報徳訓に学ぶ(下)

 先日、ボクの受け持つ授業で学生たちと一緒に地元の企業を訪問させていただいたのですが、お忙しい中、まだ入学して半年ほどの1年生たちに親身にご対応していただき、本当に有難く思っています。特に、こちらからの事前のリクエストに応じ、若い社員さんたちと学生たちの対話の場を設けていただけたことには深く感謝しています。さらに、その場にご同席いただいた3名の若手社員の方々が、すべて本学の卒業生というお心遣いによって、学生たちも対話をより身近に感じることができたものと思います。

 実はその折、ボク自身とても印象深く思ったことがありました。それは、いくつかの質問項目の中の「仕事をしていてよかったと思う時は?」という項目に対して、部署は違えど3名の社員の方すべてが、お客様や相手の方から「ありがとう」と感謝された時だとお答えになったことです。この答えを聞いてボクは、「やはり、そうなんだ」と、はたと膝を打った次第です。と言うのは、ボクたち人間の究極の幸せとは「人から感謝されること」なのではないかと、ボクが常々考えているからなのです。ただ、このことについては改めて後日、詳しくお話しさせていただくことにしましょう。

 ところで、前回は「命のバトン」の話をさせていただきました。それは、およそ報徳訓の前半部分で説かれていたことで、言うなればボクたちの命を代々繋いできた経糸(たていと)の有難さの話でした。そして、今回お話ししようと思うのは、後半で説かれている緯糸(よこいと)部分の話です。ここで言う緯糸とは、今ボクたち一人ひとりが生きているこの世界や社会のことです。人間は山や海などの自然の恵みのおかげで生きている、人間は衣食住、つまり着るもの、食べるもの、住むところがあるおかげで生きているのだと報徳訓は説いています。物質的に恵まれた現代社会の中で暮らすボクたちは今、それを当たり前のように思って生きていますが、よくよく考えてみると、それが何と有難いことかということに気付かされるのではないでしょうか。

 さらに、ボクたちがそれらをこうして当たり前のように享受できているのは、それを提供するために田畑や工場、店舗を始め、それぞれ様々な持ち場で働いている人たちのおかげではないかと報徳訓は説きます。そして、考えてみれば、その働く人たちというのは他ならぬボクたち一人ひとりのことなのだから、それぞれの持ち場持ち場において感謝の心で、互いのために努めようではないかと言うのです。すなわち、ボクたちは多くの働く人たちによって共に紡がれる緯糸に支えられて生きている一方で、働くボクたち一人ひとりがその緯糸の紡ぎ手なのだとも言っている訳なのです。

 つまり、こうしてボクたちは報徳の気持ちを持って、互いに助け合いながら社会という自分たちを支える強い緯糸を紡ぎ出していかなければならない。そして、その緯糸を綿々と祖先から受け継いできた経糸に、感謝の気持ちを持って織り込むことによってこそ豊かな人生が織り成されるのだと、報徳訓はボクたちに教えてくれているのではないでしょうか。