こうして報徳訓を読んでみると、今ここに生きているボクたち一人ひとりの命は、地球上に生命が誕生して以来、親から子へ、子から孫へ、孫から曾孫へ…と脈々と引き継がれてきたバトンであり、ボクたち一人ひとりが今その「命のバトン」を握っているのだという実感が湧いてきます。有難いことに今でこそボクたちは経済的に豊かで、平和で健康的な暮らしを当たり前のように享受していますが、人類の長い歴史を振り返ってみると、ボクたちの祖先は常に飢饉や伝染病、地震などの天災、絶え間ない戦乱や戦争などに脅かされてきたことは明らかです。
例えば、鴨長明の『方丈記』には、養和元年(1181年)に発生した「養和の飢饉」に関する、次のような件があります。「また、いとあはれなる事も侍りき。さりがたき妻(め)・男持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。その故は、わが身は次にして、人をいたはしく思ふあいだに、稀々(まれまれ)得たる食ひ物をも、かれに譲るによりてなり。されば、親子あるものは、定まれる事にて、親ぞ先立ちける」(また、たいそう憐れなこともあった。離れ難い妻や夫があり、その人に対する気持ちが勝って愛情の深い者は、必ず先に死んでいった。なぜなら、自分のことは二の次にして、相手を大切に思うばかりに、ごく稀に食べ物が手に入った時でさえ、それを相手に譲ってしまうからである。そういうことだから尚更、親子であれば決まって親が先に死んでしまったのである)。
つまり、ボクたち一人ひとりには、こうした時代の波乱の中を生き延び、深い愛情を持って途絶えることなく命の糸を綿々と繋いできた先祖がいたのであり、そのお陰でボクたちは、こうして「命のバトン」を握ることができているのです。いかがでしょう。こうしたことに心を馳せると、自分が今ここに存在していることは、奇跡のように有難いことだとは思いませんか。また今、共に生きている人たちも同様に大切な命を担っているのだとは思いませんか。
ボクは中学校3年生に上がる時、父の仕事の関係で生まれ故郷の三原から、松山の中学校に転校しましたが、当初は登校拒否となり両親や先生方にはとても心配を掛けてしまいました。そうした中、担任のO先生によくしていただいたことには、今も感謝しています。そのO先生が、ある時「われわれ人間の最大の務めは子孫を残すことなのだ」と教えて下さったことを今もよく覚えています。
その頃、思春期だったボクは少し気恥しい思いでそれを聞いていた覚えがあるのですが、自分が結婚して子供を持ち、そのうち孫も生まれた一方で祖父母、そして両親を見送る体験を重ねるうちに、まさに先生が教えて下さったことは「命のバトン」を繋ぐ大切さであったこと、そして、それ故に、命がいかに尊いものであるかということだったのだと今更ながら有難く思います。
ボクたちも若い人たちにこうした大切なことを、しっかりと伝えていかなければならないのではないかと、ボクは考えているのです。