福山平成大学 小川教授の「経営の福袋」第41回 『新廉塾』開塾

 福山市神辺町にある神辺駅は、福山駅と三次市の塩町駅を結ぶ福塩線上の駅であるとともに、岡山県総社市の総社駅から井原市を経て西進する第3セクター「井原鉄道」の終着駅でもあります。その神辺駅のすぐ近くに建つ古民家(旧、松本家)を再生し、「学校法人福山大学神辺駅前サテライトキャンパス」として活用することとなり、「神な備(かんなび)」という愛称で昨年度オープンしました。

 因みに、この「神な備」というネーミングは神辺町内にある、古来より地元の信仰を集めてきた式内社「天別豊姫(あまわけとよひめ)神社」の鎮座する「黄葉山(こうようざん)」の森に由来して名付けられたものだと思います。と言いますのは、この神社は神辺城のあった黄葉山中腹に祀られており、この神社を囲む森が神の隠れ籠れる森という意味を持つ「神奈備(かんなび)」と呼ばれていたからです。そのため、黄葉山は「神奈備山」とも言われていたようで、一説には神辺の地名は神奈備の音が転じたものとされています。

 江戸時代の中期、町の象徴とも言えるこの黄葉山の名を冠して、神辺の地に開かれた私塾が「黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)」であり、これを開いたのが神辺出身の漢学者「菅茶山(かんちゃざん)」先生です。戦国時代から神辺城の城下町として栄えた神辺ですが、江戸時代に入り福山城が築城されてからは政治の中心が福山に移り、以後は西国街道(旧、山陽道)の宿場町として賑わいます。しかし、その賑わいの一方で、人の往来が繁くなると遊興場や賭博場が開かれるようになり、それによって人々の生活も荒んでいったと言います。これを嘆いた茶山先生は、人の道を正すため貧富の区別なく教育を施そうと私塾を開いたのです。

 この塾で学ぶことによって次第に人心は鎮まり、民度が高まったと言われ、この功績もあって、のちに紅葉夕陽村舎は福山藩の郷校である「福山学問所」となり、一般に「廉塾」と呼ばれるようになりました。廉塾はその後、廃藩置県および学制施行に伴って明治5年に閉塾となるまでのおよそ100年の間、郷土の子弟たちの教育に大いに貢献しました。現在、廉塾は国の特別史跡として保存され、今も当時の姿を留めています。

 そこで今回、こうした茶山先生の志に倣い、少しでも廉塾の功績にあやかりたいと願って、僭越ながら今月から「神な備」にて、地域勉強会『新廉塾』を開塾する運びとなりました。開塾の意図は、地域の抱える問題とその解決について地域の方々と共に考え、実践することにあります。今、備後地域は深刻な少子化と人口減少による、地域経済基盤や地域コミュニティ崩壊の危機に直面しています。備後で暮らすボクたちは、それを他人事ではなく、自らの事として捉え、自分たちで考え、自分たちで解決しなければなりません。また、そのためには、何よりも「人づくり」から始めなければならないと考えています。『新廉塾』は、今月から毎月第3金曜日の午後6時から8時までの日程で開催します。みなさまのご参加を、心よりお待ちしております。