福山平成大学 小川教授の「経営の福袋」第40回 学問のすゝめ

 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という、人口に膾炙した福澤諭吉翁の『学問のすゝめ』の冒頭の一節を、ご存じの方は多いものと思います。そして、かなり多くの方が、その意味をすべての人間は平等だという風に解釈されているのではないでしょうか。ボクが小学生の頃、担任の先生がこの一節を板書されて「このように、人間はみな平等なのです」と教えて下さったことを覚えています。確かに、諭吉翁は幕末から明治維新の時代に活躍した人ですので、江戸時代の封建的な身分制社会から、西洋式の人権主義的な社会へと世の中が大きく変化する中で、人間の平等を説く啓蒙の意味が込められていたことは間違いないでしょう。しかし、長じて実際に自分で『学問のすゝめ』を読んだ時、その要点が大いに違っていたことに愕然とした覚えがあります。

 と言うのは、諭吉翁が説いていたのは次のようなことだったからです。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というのは「万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別」はないということである。しかし、現実に人間社会を見渡すと「かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もあり」といったように人々の間に雲泥の差があるのはなぜなのか。そのように問うた上で、実は、その理由ははっきりしていると諭吉翁は言います。それは、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」と言われるように、賢人と愚人との差は、“学ぶ”か“学ばない”かに掛かっているというのが、諭吉翁の訓えだったのです。

 つまり、高い地位に就いて重要な仕事をしている人は、自然にその家が栄えることになるので、そうでない人から見れば及ぶべくもないと思うかもしれない。しかし、その大本を考えてみれば、ただ、その人が学んで力を付けたか否かによって、こうした差異ができたのであって、生来そういう風に定まっているものでは決してない。「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」という諺があるように、人には生まれながらの貴賤・貧富の別などなく、「ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」と書かれています。

 しかし、これは決して学校で学ぶ学問だけに限らないものと思います。何事につけても自ら積極的に学ぼうという意欲、主体的に取り組もうという姿勢で弛まぬ努力を重ねることによってこそ、その人は成長し、実力が備わり、それが生み出す価値によって経済的にも豊かになるということなのだと思います。まさに、こうした姿勢こそが諭吉翁の唱えた「独立自尊」の精神だと言えます。

 さらに、法人と言われるように企業を人に見立てるならば、企業においても同様に、こうした学びの企業文化を培い、そこから生み出されるイノベーションによって独立自尊の道を歩む気概と実行力を備え、混沌とした今の世の中を切り拓いていくことが、その使命ではないかとボクは思っています。