福山平成大学 小川教授の「経営の福袋」第38回 心訓について

 ボクの父方の祖父母は、笠岡市西方の金浦という町の小さな川の河口にある橋の袂で理髪店を営んでいました。ボクが物心付いた時には、やはり金浦出身だった母の両親は既に他界していたので、幼い頃、潮が満ちてくると磯の香りがする祖父母の家に、両親に連れられて里帰りしたことを思い出します。今は既にないその家は、道路に面した大きなガラスの入った黒い木枠の頑丈な引き戸を開いた一画が店舗となっており、その奥に土間伝いの居室が縦に三部屋ほど並んでいたような記憶があります。そして、店舗に最も近い一間に「心訓」と題された額が飾られていたのを何故かよく覚えています。

一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く    仕事を持つという事です。

一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養の   ない事です。

一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事   です。

一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうら   やむ事です。

一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決し   て恩にきせない事です。

一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持   つ事です。

一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。

 これは、俗に「福澤心訓」と呼ばれ、福沢諭吉の作ったものだとされていたのですが、のちに諭吉翁の作ではなかったことが判明したようです。そうなると、たちまち有難味が無くなってしまったものか、最近ではほとんど見掛けなくなってしまいました。しかし、これを誰がどのような意図で作ったにせよ、書かれている内容は確かに心に刻むべき真っ当な訓えではないかとボクは思います。

 実は、なぜ小学生の頃に目にしたこの心訓が今も記憶に残っているのかと言えば、これを読んだ時、一番さびしい事とされている3つ目の訓えの内容に違和感があったからです。と言うのは、他の6つの訓えは小学生ながらもそれなりに納得がいくものだったのですが、何故、する仕事がない事が世の中で最もさびしいことなのか合点がいかなかったからなのです。つまり、仕事がなければ収入がなくなるのだから、それが「苦しい事」とか「困った事」であれば分かるものの、なぜ「さびしい事」なのだろうと幼心に疑問に思った訳です。

 思い起こせば、その頃のボクは周りの子供たち同様に「野球選手になりたい」程度の漠然とした夢を持っていましたが、それは仕事という考えには繋がらず、子供ながらに仕事とは「お金を稼ぐこと」だと考えていたのだと思います。しかし、これまでにも申し上げてきたように、仕事とは「良いことをすること」、「人を幸せにすること」、「世の中に価値をもたらすこと」だという面に思いが至れば、自分がそれに貢献できないことは確かに「世の中で一番さびしい事」であることは間違いないように思います。

 そう考えれば、1つ目の「世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です」という訓えも、よりその意味が真実味を帯びてくるのではないでしょうか。