福山平成大学 小川教授の「経営の福袋」第36回 「昭和百年」の年に

 稲盛さんが出席したコンパでは、最後に参加者全員が肩を組んで「故郷」を歌う場面がよく見られたといいます。中には、稲盛さんと同郷の方もおられたでしょうが、当然ながら、共に「故郷」を歌う仲間たちの出身地は様々だっただろうと思います。それぞれの人にはそれぞれに異なった出身地の自然環境や伝統、文化があり、生まれ育った境遇や、共に時を過ごしてきた人々との関係はそれぞれに異なります。ですから、肩を組んで「故郷」を歌う人たちの心の中には、一人ひとり異なった故郷の情景が浮かび、それぞれの胸にそれぞれの郷愁が去来していたものと思います。

 しかし、その一方で如何にそれぞれの人の出身地が異なっていようとも、そして、如何にそれぞれの人の育った境遇が異なっていようとも、間違いなく、どの人にも生まれ育った郷土があり、どの人もその地域の言葉や慣習などの伝統や文化の中で、父や母、兄弟姉妹、先生や友だちなどの身の周りの人たちと、様々な関係を結びながら生きてきたという最大公約数としての共通点があります。まさに、こうした共通点があるからこそ、それぞれの人のそれぞれ異なった故郷への思いを、互いに重ね合わせることができるのだろうと思います。

 コンパで肩を組んで「故郷」を歌う人たちの気持ちが互いに解け合っていくのも、夕間暮れの川端に座り、肩を震わせながら「故郷」を歌う稲盛さんの姿を想像して、ボクの胸が切なくなるのも、まさにボクたちの心の中にこうした最大公約数があるからだろうと思います。「兎追ひし彼の山、小鮒釣りし彼の川」、今67歳のボクは、子供の頃に用水路やため池で鮒を釣った思い出はありますが、兎を追った経験はありません。それでも、「故郷」を耳にしたり、口ずさんだりすると懐かしさが胸に広がってくるのは、この歌の郷愁を帯びたメロディと、兎追いや小鮒釣り、「山は青き故郷、水は清き故郷」といった歌詞が、ボクたち一人ひとりの心の中に、子供の頃に夢中になって遊んでいたことや、自らの故郷の情景を蘇らせてくれるからなのだろうと思います。

 しかし近頃、故郷という言葉を聞かなくなったと感じているのはボクだけでしょうか。ただ、耳にするのは本旨を忘れ、本来、自らが住んでいる町に納めるべき税金を、返礼品を目当てにした損得勘定だけで、縁もゆかりもない町に納める「ふるさと納税」ぐらいになっていることは、嘆かわしいことだと思います。確かに、グローバル人材もいいでしょう、IT人材も必要でしょう。しかし、だからと言って故郷を思う気持ちが蔑ろにされているのは間違いではないでしょうか。故郷を思う心を持たずして、何が地方創生なのでしょう。何が地域活性化なのでしょう。

 故郷を思う心があればこそ、そこを原点にボクたちは本気で地域のことを考えられるのではないでしょうか。そして何より、心に浮かぶ故郷の情景や人々への思いを糧に、「雨に風につけても」それを乗り越えていく力が湧いてくるということではない。