福山平成大学 小川教授の「経営の福袋」第回 33故郷(ふるさと)(上)

 前回、アイゼンハワー元大統領が少年の頃に野球選手になりたかったという話をさせていただいた中で、「少年の夢」という文章の一部をご紹介しました。実は、その後も父から聞いた、野球選手が無理ならアンパイアになりたいという話に拘っていたボクは、この文章の中にそれが書かれているのではないかと思い、「少年の夢」というタイトルの文章を探していました。そして、ついに『ある少年の夢』という本を見つけたのですが、残念ながら、それはアイゼンハワー少年の夢ではなく、何と稲盛和夫少年の夢の話でした。

 この本は1979年に発刊された、京セラ創業者の故・稲盛和夫さんに関する本で、それは、氏の出生から京セラ創立20周年までの歩みを描いた稲盛伝記本の嚆矢となった本だとされています。これまで、不覚にもこの本の存在を知らなかったボクは、これは運命の巡り合わせかと思い、早速、今年4月に日経BPで文庫化されたばかりの『ある少年の夢』を入手して読み始めました。

 鹿児島生まれの稲盛さんの少年時代の貧しい生活、家計を助けるための家業の手伝いの苦労と商才の発揮、その一方での学問への熱い情熱と何度かの挫折、さらに、それを乗り越えていく氏の信念と精神力に加えて、稲森さんを助け、支援する人たちとの運命的な出会いには感動を覚えます。また、京セラ創業時の稲盛さんと同志(社員)の方々の、想像を絶するような仕事への取り組みとその情熱を知ると、何事か成さんという人たちの姿に一種の崇高ささえ感じます。こうした中で、最もボクの印象に残ったのが次のようなエピソードです。

 他社の建物の一角を間借りして創業された京セラでしたが、卓越したセラミック技術と血の滲むような努力の結果、初めての本格的な自社工場が滋賀に建てられました。その縁から、あと2か月半で創業10周年を迎えるという昭和44年1月15日に、稲盛さんは滋賀県蒲生町の朝桜中学校で講演しているのですが、その時、聴衆の前で唱歌「故郷」を歌ったというのです。

 一、兎追ひし彼の山、小鮒釣りし彼の川、夢は今も巡りて、忘れ難き故郷。

 二、如何にいます父母、恙無し(つつがなし)や友垣、雨に風につけても、思ひ出づる故郷。

 三、志を果たして、いつの日にか帰らん、山は青き故郷、水は清き故郷。

 老婆心ながら歌詞の意味を取ってみますと、次のようになるかと思います。

 一、兎追いをした故郷のあの山、小鮒釣りをしたあの川。あの頃の夢は今もなお思い出されて、故郷のことは忘れられない。

 二、故郷の父さんや母さんはどうしているのだろうか。仲の良かった友らは今も元気にしているのだろうか。雨に降りつけられるように辛い時や、風に吹きつけられるように苦しい時には、尚のこと故郷のことが思い出される。

 三、いつの日か、志を果たした時には帰ろう、あの青い山のある故郷へ、あの清らかな水が流れる故郷へ。