「カンザスに育った子供の頃、友達と魚釣りに行きました。ある夏の暖かい午後、そこに座って私たちは将来大きくなったら何になりたいかについて話し合いました。私は彼に『本物のメジャーリーガーになりたい、真のプロフェッショナルと言われるあのホーナス・ワグナー(殿堂入りした有名な選手です)のような』と言いました。私の友達は『合衆国大統領になりたい』と言いました。私たち二人とも夢は叶いませんでした」。
これは、『三田評論』2002年8・9月号に掲載された、慶應義塾大学出身で元横浜ベイスターズ監督の山下大輔さんの講演録で紹介された『少年の夢』という文章の一部です。彼は『野球とベースボールの話』という母校での講演で、日米における野球の考え方の違いについて話した後、この文章を読み上げ、「実はこれを書いたのは第34代合衆国大統領ドワイト・アイゼンハワーなんです」と説明しています。これを見た時、ボクは父の話していたことは本当だったのだと長年の霧が晴れるような思いでした。そこにアンパイアの話こそなかったものの、やはりアイゼンハワー大統領が少年の頃、野球選手になりたかったのは偽りではなかったのだと思うと父の顔が目に浮かびました。
この話の後、山下さんは「アイゼンハワーの幼友達が大リーガーになったかどうかはわかりませんが、この人のこの言葉が「アメリカ人にとって野球とは何か」ということを、明確に語ってくれているような気がするのです」と話し、日米の野球には大きな隔たりがあるのではないか、少なくとも「日本の野球が少年に夢を与えるもの」であってほしい。そのためには「野球はもっともっと楽しいもの」でなければならないと講演を締め括っています。
途中の内容をご紹介していないので、少しピンと来ないかもしれませんが、山下さんはプロ野球選手を引退した後、自分の眼でアメリカ野球を確かめるため米国各地をマイナーリーグからメジャーまで歩き回ったと言います。講演では選手たちの熾烈な競争の実態と共に、野球を愛するアメリカの人たちの様々なエピソードが紹介されています。中でも印象深かったのは、当時マリナーズに所属していた長谷川滋利投手の話です。リリーフ投手だった彼は、試合の途中でマウンドに行く時、同僚から「エンジョイ」と声を掛けられたと言います。そして長谷川選手は、この「エンジョイ」という言葉にアメリカ人の野球観を初めて感じたと語っていたそうです。つまり、山下さんは講演でこの「エンジョイ」という感覚が日本の野球に欠けているのではないかと訴えていたと言えます。
当初の父の思い出話から脇道に逸れてしまいましたが、翻って今の日本で自らの仕事をエンジョイしている人がどれ程いるのでしょうか。山下さんの言葉を借りて、「仕事はもっともっと楽しいもの」でなければならないと言えば、果たしてそれは言い過ぎでしょうか。