ボクが、まだ草野球に夢中だった小学校低学年の頃だったと思うのですが、それを聞いて以来なぜか、ずっと記憶に残っている話があります。それは、当時よくキャッチボールの相手をしてくれていた父が話してくれた次のような話です。「アメリカのアイゼンハワーという人は、少年の頃どうしても野球選手になりたいと思っていた。そして、もし選手になれないのであれば、アンパイアになりたいと考えていた。しかし結局、どちらも実現しなかったが、のちにアイゼンハワーはアメリカの大統領になった」。そういった内容を話してくれた後に、「立派になる人は、そうしたものなんだろう」と感想めいたことを付け加えていたことを覚えています。
父は田舎町の散髪屋の四男坊で、早くから繊維工場の労働者となり三交代で勤めながら、休みの日には建築現場の手伝いなどをして家計を維持するために働き詰めで、こちらも内職やパートを掛け持ちしながら家事を切り盛りしていた母と共に貧しい暮らしの中、弟とボクを大学に行かせてくれました。当時のボクは、大学に行くのは当たり前のように思っていましたが、自分が親となり子供を持ってみると、それは本当に有難いことだったと今になって感謝の念に堪えない次第です。「孝行をしたい時には親はなし」、早くに他界した父に孝行らしい孝行もできなかったことが今更ながら悔やまれますが、その分、親から受けた愛情を子供たちに精一杯注いできたという言い訳だけが、親孝行代わりだったのだと自らを慰めているようなことです。
ともあれ、こうした事情もあって日頃から新聞以外に本など読む姿を見掛けることのなかった父の話は意外でしたが、そもそもアイゼンハワーという人が、どういう人なのかも知らなかった小学生のボクは、その時は「そうなんだ」と思っていました。ただ、「野球選手になれなければ、アンパイアになろう」という野球への執念というか、熱望というか、そうした直向きな熱意が記憶に残りました。しかし、当時は父がこの話をどこで知ったのかといったことなど考えることはありませんでした。
その後、何度かこの話を思い出すことがあったのですが、同じような話を見たり聞いたりすることはありませんでした。では、父はあの話をどこで聞いた(見た)のだろう。まさか、そんな作り話をするような人ではないし、それができるような人でもないはずなのですが、ウィキペディアで調べてみてもそのような話は載っていません。しばらく前に、アイゼンハワーの自伝を取り寄せて目を通してみたのですが、やはり、そうした類の話は見当たりませんでした。
それが先日の日経新聞の小さな記事の中に、野球とアイゼンハワー大統領に関する文章が、慶應義塾の機関紙『三田評論』に掲載されていたと書かれているのを見て、長年探していた父の形見が見つかったように小躍りしました。(つづく)