最近、ICTやAIなどという言葉を見ない日はないほど、頻繁に情報技術関連の話題が報じられています。それと同時に、「DXに乗り遅れるな」とか「時代に取り残されるな」などというキャッチ・フレーズが盛んに飛び交って、日本全体がどこか落ち着きを失い、浮足立っているように見えるのはボクだけでしょうか。
その背景には、こうした新しい技術がもたらしてくれるだろう未知の可能性への期待と同時に、それによって生じるかもしれない何らかの弊害への不安があるからではないかと思います。さらに、人間が実現可能なあらゆる知的作業を理解・学習・実行することができるAGI(汎用人工知能)や、人間の知能を遥かに超えるレベルの人工知能を指すASI(人工超知能)の実現可能性も議論されるようになってきており、人工知能が人間を凌駕する時点を意味するシンギュラリティ(技術的特異点)を迎える日も遠くないと言われるようにもなってきました。
個人的には、今の情報技術の進歩に対して懐疑的な立場ですが、ここでは、その議論には深入りせず、アメリカの思想家R.W.エマソンが『自己信頼』で述べている「社会は進歩などしていない、変化しているだけである。新しい技術を身につけると、古い本能を失う」という言葉の紹介に止め、「乗り遅れるな」とか「取り残されるな」といった、どこか怪しい文言について少し考えてみたいと思います。
ボクの経験からすると、これらの文言は、何か世の中に新しい技術や理論が生まれ、それが何か新しい価値をもたらしてくれるのではないかと社会の期待が高まった時に使われる常套句であるように思います。例えば、ボクが証券会社に勤めていた1980~90年代には、FT(金融技術)が喧伝され、俗に言う「財テク」という言葉が飛び交い、「乗り遅れるな」というキャッチ・フレーズに煽られて、銀行などの金融機関を始め法人、個人を挙げて、がむしゃらに財テクに乗り出した結果、バブルの崩壊で煮え湯を飲まされた苦い歴史を思い出します。
その他にも、米国の国防総省がインターネットを公に解放した時や、Windows95の開発でパソコンが一気に普及した時、携帯電話の開発や、それに替わるスマートフォンの普及時などにも、やはり「乗り遅れるな」というフレーズに追い立てられるように、多くの人が我先にとそれらに飛び付きましたが、WTA(独り勝ち)であるデジタルの世界で先行者利益を得られるのは、ほんの一部の人たちであり、後から考えると、ほとんどの人はそれほど慌てる必要はなかったものと思います。
と言うのも、「乗り遅れるな」というのは、およそ彼ら先行者たちと、話題作りにそれを囃し立てる一部のマスコミからの声であり、それを信じてはならないなどという訳ではないのですが、このフレーズを聞いた時には浮足立たず、まず地に足を付けて自らの頭で考え、判断すべきだと言いたいわけです。