山平成大学 小川教授の「経営の福袋」第26回 人国記に学ぶ(下)

 前回の備後に続いて、『人国記』から現在は共に同じ広島県となっている安芸の国の項を見ておきましょう。「安芸の国の風俗は、人の気質実多き国風なれども、気自然と狭くして、我は人の言葉を待ち、人は我を先にせんことを常に風儀として、人の善を見てもさして褒美せず、悪を見ても誹る儀もなく、唯己々が一分を振舞ふ意地にして抜きんでたる人、千人に十人とこれ無くして、世間の嘲弄をも厭わざる風儀なり。(略)これによって頼みなき様なれども、底意は実儀より起りたる事なれば、善き所多し。この気質を離れたる人出来せば、名人とも謂ふべき人出づべき国風なり。(略)」。

 すなわち、「安芸の国の風俗は、人の気質は誠実な面が多い国風なのだが、生来、狭量で、自らは人が何か先に言うのを待ち、逆に他人は先にこちらにさせようとするなど諸事万端、常に消極的な傾向がある。だから、人の善い面を見ても褒めようとせず、悪い面を見ても指摘しようとしない。ただ、各々の人が自分の職分だけを果たそうとするのみで、人に抜きん出ようとする人は千人に十人もいない。また、それを周囲から嘲笑されても一向構わない傾向がある。そのため頼りなく思われるのだが、実は、それは根っからの誠実さから来ることで善い面は多い。故に、この傾向を打ち破る人が出てくるならば、名人と呼ばれるような人が生まれてもおかしくない国風である」という意味です。

 こうして読んでみて心強く思うのは、ともあれ備後人にしても安芸人にしても、その心根は共に誠実であるという点です。つまり、我々の先祖が代々の生活の中で培ってきた気質の、最も根本にある特徴が誠実さであるとは、それを受け継ぐ我々にとって本当に有難いことだと思いますし、これを次世代そして将来の子孫たちに、生活を通じて大切に引き継いでいく義務があるとボクは思うのです。

 『新人国記』のあとがき部分で、関祖衡は次のように記しています。「国家の理乱は、風俗の美悪に繋り、風俗の美悪は、民心の情偽に繋り、民心の情偽は、人牧の賢否に繋る。この故に風を移し俗を易ふるは、王たる者の以て挽回する所なり」。すなわち、「国家が大平に治まるか乱れるかは、その国の風俗が善いか悪いかに因り、その風俗の善悪というものは民心が誠実か不誠実かに因り、民心の誠実・不誠実は、その民を養い治める者が賢明であるか愚鈍であるかに因る。それ故に、善美なる風習をもって悪い習俗に変えることが、その国を治める者が衰えた国政を再興する道なのである」と。

 これは、まさに今、混迷する我が国において、崩壊に怯える各地方において、企業等の組織・団体、さらに学校などの教育の場において、最も欠落している視点なのではないでしょうか。特に、自社をよい会社にしたいと考えておられる経営者の方々には、真摯にお考えになっていただくのがよいと思います。