先日、SNSに興味深い動画がアップロードされていました。残念ながら、どこの学校か覚えていないのですが、校長先生が生徒の前でお話しされていたことに、なるほどその通りだと思ったことがありました。うっかり、その動画を保存し忘れたので、使われていた言葉がうろ覚えで多少違うかもしれませんが、ボクなりに解釈したことを書き残しておきたいと思います。その校長先生は、生徒たちに「気付く」こと、「考える」こと、「動く」こと、「伝える」ことができる人になってもらいたいと語り掛けておられました。
まず、「気付く」とは、自分の目に入ったことを単に見るということではなく、「そこに悲しんでいる人がいる」とか、「あそこに困っている人がいる」とか、「ここに美しい花がある」などといったことに気付く力のことだと言います。つまり、同じことを見ても単に「そこに人がいる」とか、「ここに花がある」ということに止まらず、心の眼すなわち「心眼」で物事を見るということでしょう。言い換えれば、それは他者や他の物に思いを遣ること、すなわち「思い遣り」を持つということだろうと思います。
次に、「考える」とは自らの気付きをもとに、「悲しんでいる人を、どうやって慰めてあげればいいのだろうか」、「困っている人を、どうすれば助けてあげることができるのか」と思い巡らすことだと言います。小林秀雄は、その著『本居宣長』の中で、宣長の『玉勝間』に照らして、考えるという言葉に言及しています。それは、古語の「かむがふ」が変化した言葉であり、「か」は発語(接頭語)で意味はないが、「む」は「身」つまり自分自身のことであり、「かふ」は「交ふ」つまり「交わること」であるので、考えるということは単に対象を観察して分析することに止まらず、自分と他者(他の事物)とが交わること、つまり自らを他者に置き換え、他者を自らに置き換えてみることだと言っていますが、まさに「熟考」とはこうしたことだと思います。
さらに、「動く」とは気付き、考えたことを実際に行動することだと言います。先日、「ノウハウのすべてをお教えします」といった内容のメールマガジンが届いていましたが、その後に「なぜなら、90%の人はそれを行動することがないからです」と書かれているのを見て、さもありなんと首肯したような次第です。確かに、いくら良く気付いても、いくら良い考えに至っても、それが実行されなければ所詮、絵に描いた餅です。吉田松陰の座右の銘だったとされる「知行合一」という陽明学の言葉も、まさにこのことを意味しているものと思います。
最後に、「伝える」とは、自らが辿った道で他の人の役に立ちそうなことを伝えることだと言います。つまり、自分が気付き、考え、行動して得られた知恵を他者と分け合うということです。各々の人が、自らが得た知恵を自分だけで囲い込んでしまっては、知恵が孤立分散してしまいますが、互いの知恵を伝え合えば、相互の持つ知恵が大いに増すばかりか、それがまた新しい知恵の生まれる契機ともなります。
人の褌で相撲を取るようで、少し後ろめたい気がしないでもないのですが、善は急げで、これを「気考動伝」と名付けて早速、今日から実践していこうではありませんか。
まず、「気付く」とは、自分の目に入ったことを単に見るということではなく、「そこに悲しんでいる人がいる」とか、「あそこに困っている人がいる」とか、「ここに美しい花がある」などといったことに気付く力のことだと言います。つまり、同じことを見ても単に「そこに人がいる」とか、「ここに花がある」ということに止まらず、心の眼すなわち「心眼」で物事を見るということでしょう。言い換えれば、それは他者や他の物に思いを遣ること、すなわち「思い遣り」を持つということだろうと思います。
次に、「考える」とは自らの気付きをもとに、「悲しんでいる人を、どうやって慰めてあげればいいのだろうか」、「困っている人を、どうすれば助けてあげることができるのか」と思い巡らすことだと言います。小林秀雄は、その著『本居宣長』の中で、宣長の『玉勝間』に照らして、考えるという言葉に言及しています。それは、古語の「かむがふ」が変化した言葉であり、「か」は発語(接頭語)で意味はないが、「む」は「身」つまり自分自身のことであり、「かふ」は「交ふ」つまり「交わること」であるので、考えるということは単に対象を観察して分析することに止まらず、自分と他者(他の事物)とが交わること、つまり自らを他者に置き換え、他者を自らに置き換えてみることだと言っていますが、まさに「熟考」とはこうしたことだと思います。
さらに、「動く」とは気付き、考えたことを実際に行動することだと言います。先日、「ノウハウのすべてをお教えします」といった内容のメールマガジンが届いていましたが、その後に「なぜなら、90%の人はそれを行動することがないからです」と書かれているのを見て、さもありなんと首肯したような次第です。確かに、いくら良く気付いても、いくら良い考えに至っても、それが実行されなければ所詮、絵に描いた餅です。吉田松陰の座右の銘だったとされる「知行合一」という陽明学の言葉も、まさにこのことを意味しているものと思います。
最後に、「伝える」とは、自らが辿った道で他の人の役に立ちそうなことを伝えることだと言います。つまり、自分が気付き、考え、行動して得られた知恵を他者と分け合うということです。各々の人が、自らが得た知恵を自分だけで囲い込んでしまっては、知恵が孤立分散してしまいますが、互いの知恵を伝え合えば、相互の持つ知恵が大いに増すばかりか、それがまた新しい知恵の生まれる契機ともなります。
人の褌で相撲を取るようで、少し後ろめたい気がしないでもないのですが、善は急げで、これを「気考動伝」と名付けて早速、今日から実践していこうではありませんか。