あけましておめでとうございます。謹んで新春のお慶びを申し上げます。
「一年の計は元旦にあり」。新しい年の始まりに当たり心機一転、一年の計を立てようという方も少なくないものと思います。この言葉は一説に、明代の漢籍『月令広義(げつりょうこうぎ)』にある「一日の計は晨(あした)にあり、一年の計は春にあり」が出典だと言われています。因みに、文中の「晨」とは朝のことであり、「春」とは立春が転じて元旦の意です。また、「計」とは、いわゆる「計り事」のことであり、物事がうまくいくように前もって考える計画のことを意味しています。
そこで、当代第一級の漢文学者である故白川静先生の『字通』を引いてみますと、「計」という文字は祝禱(しゅくとう:神官に依頼して神に祈ること)に関する語であったと考えられ、神意に諮ることを意味する語だと書かれています。これを踏まえますと、「計」という語は単なる目先の願望とか形式的な計画というものを超えた、神さまの前でも恥じることのない真っ当な願いのことであり、その実践を心から誓う計画のことだと考えることができます。そうであればこそ、元旦という厳かな新年の始まりの日に臨んで、一年の計を立てる意義があり、その「計」を日々、新しい一日が始まる朝に心に刻み直して、実現を確かなものにしていくことが肝心だと説かれているのではないかとボクは考えているのですが、いかがでしょうか。
ここで、もう一つ「計」に関する話をしておきましょう。「計」と聞いて頭に浮かぶのは、『管子』にある「一年の計は穀を樹うるに如くはなく、十年の計は木を樹うるに如くはなく、終身の計は人を樹うるに如くはなし」という言葉です。これは、一年の計ならば穀物を植え育てるのがよく、十年の計ならば木(果樹)を植え育てるのがよく、終生の計ならば人を植え育てるのがよいという意味になります。実は『管子』には、この一節に続けて「一樹一獲なる者は穀なり、一樹十穫なる者は木なり、一樹百穫なる者は人なり」と記されています。これは、穀物が育てば一度収穫ができ、果樹が育てば十度収穫ができ、人が育てば百度(つまり、長きにわたって)収穫ができるという意味です。
そして、これを個人のこととして捉えれば、自らの生涯のことを考えるなら目先のことばかりに囚われず、長い目で自己の人格を高め、自らの能力を磨いていくことが大切だと解釈できるわけですが、経営に照らして考えてみると、企業がゴーイング・コンサーン(継続企業)として存在し続け、将来にわたって社会への貢献を果たし続けていきたいというのであれば、何よりも人を育てることが肝要であると教えてくれます。やはり、企業は人なりということです。
では、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。