前回から連載が始まった「経営の福袋」、第1回目はいかがだったでしょうか。今回も前回に引き続き、もう一つ「経営の神様」松下幸之助翁に関する話題を取り上げたいと思います。それは、その内容には経営の真髄が宿っていると考えていることと、それがボクの教育信条の礎ともなっているエピソードでもあるからです。
どの大学でも毎年、学生募集のため「大学案内」を発行しているのですが、前任校に在職中、編集委員の先生から依頼を受け、「大学案内」に何度かボクのゼミの紹介記事を書いたことがあります。その時の文章は、たいてい「小川ゼミは、経営学の中でも経営戦略とマーケティングを探求するゼミです。当ゼミでは自由闊達な雰囲気の中で、ゼミ生が深い教養と専門知識の修得は言うまでもなく、それと同時に自らしっかりと人間性を磨き上げ、どこに出ても恥ずかしくない、世の中の役に立つ人間に成長することを最重要な目標の一つとしています」という内容でした。さて、その目標がどこまで実現したのか考えると汗顔の至りなのですが、新任地の福山平成大学に着任した今でも、この考え方が揺らぐことは決してありません。実は、ボクのこの教育信条のもとになっているのが、幸之助氏の次のようなエピソードです。
幸之助氏は以前、若い社員たちに対して「得意先から『松下電器は何をつくるところか』と尋ねられたならば、『松下電器は人をつくるところでございます。あわせて電気製品をつくっております』と答えてもらいたい」と話していたといいます。そして、この言葉は「事業は人にあり」という幸之助氏の信念のもと、人間として成長しない人を持つ事業に成功はないと考えていたため出たものだったというのです。やがて、こうした氏の思いは社員に浸透し、当時まだ、技術、資力、信用は貧弱だったにもかかわらず、どこよりも会社を力強く進展させる大きな原動力となったと語っています。
昨今、「人的資源経営」という言葉が流行っているようですが、ボク自身は経営学者でありながら、これまでの時々の流行り文句と同様、個人的には少し胡散臭さを感じるところがあります。それは、理論が間違っているとか、根拠がないといったことではなく、“人”を対象としていながら、どうも上辺の方法論ばかりが取り沙汰されているような気がしてならないからです。もし、本当に“人”を企業の大切な資源として考えようというのであれば、経営者の考え方の根底に、幸之助氏が説いたように「事業は人にあり」、「人をつくる」という信念がなければ、所詮、画餅に帰してしまうのではないかと危惧しているわけなのです。